スポーツと私

幼少期のスポーツへの愛
小学生、中学生の時は、一番好きな授業は体育でした。遊びが好きで、あまり勉強は好きではなかったので、体育=遊びの感覚でした。当時体育の授業は週2回しかありませんでした。何曜日の何時間目が体育かをはっきり覚えて、次の体育はいつなのか、常にわくわくと待っている日々でした。
中国では、学校の運動会はクラス間の戦いなので、得意な人だけがクラスの代表として運動会に参加します。私は体育(=遊び)好きですが、得意ではないので、運動会に参加した記憶は残念ながら非常に少ないです・・・。

バレーの夢
中学生の頃はテレビが普及し始める時代でした。当時日本の女子バレーが強く、「東洋の魔女」と呼ばれていて、よくテレビで日本女子バレーの試合を観戦していました。バレー好きのクラスメイトと共に学校に提案して、学校初のバレー部を作りました。授業前の朝も、放課後も、体育の授業と関係なく、日々練習していました。徐々に遊びからスポーツへの感覚が生まれ始めました。

水泳との出会い
大学に入って、水泳部の募集ポスターを見て、申し込んで水泳部に入りました。父が教えてくれた自己流で、大学の代表として、陝西省(日本の場合は県レベル)の大学水泳大会に出て、なんと平泳の100mと200mで両方とも3位でした。当時の私は平泳しかできませんでした・・・。今考えると自分が強かったというよりは、西安の大学は殆どプールが無く、得意な人が少なかったではないかと思っています。
30歳頃に仙台の泉区で暮らし始めました。ある日妻に、泉図書館の裏にプールがあるよと言われて、探してみたらセントラルフィットネスクラブ泉中央でした。即時入会し、水泳の練習を再開しました。
マスターズという練習プログラムに参加して、週3、4回トレーニングを始めました。自由形、背泳ぎ、バタフライも学び、仲間と日々楽しく訓練していました。年何回かいろいろな水泳大会にも出て、メダルもいっぱい貰いました。全盛期は全日本マスターズ50人傑にもランキングできました。

スポーツの魅力と価値
コロナになってから、マスターズの練習が中断されましたが、近年はスキーやヨット、ゴルフにハマっています。よくよく考えたら、自然を相手にするスポーツです。しかもライバルより、如何に自分のプレイに集中するかが大事。まずは自分に勝つことですね。仙台は自然に恵まれていて、いろいろなスポーツできることは本当に幸せなことです。
生活も仕事も支えるのは自分の体です。スポーツは体を鍛え、メンタルも強くなります。一緒にスポーツする仲間が増え、いろいろなコニュニケーションが生まれ、とっても良い勉強になります。また、強い信頼関係の人脈もできます。プライベートでもビジネスでも役に立ちます。
人類史の狩猟採集時代では、運動は生きることそのものでしたが、現代社会では運動はしなくてもいい時代になりました。スマホさえあれば生活はもう充分の時代で、個人的には多少残念な気持ちです。やはりリアルな世界で自然と触れ合うことは、多少不便でも、疲れても、危険でも、リッチな人生になるのではないかと思います。