西安から松島へ、私とセーリング

私は中国内陸の西安、かつての唐の都・長安であり、シルクロードの起点ともいわれる街で生まれ育ちました。海は遠く、まさに憧れの存在です。公園の湖でボートを漕いだり、フェリーに乗ったりするだけでも心が弾み、「いつか本物の海へ」と、どこかで思い続けていました。

そんな私が初めて海のヨットに乗ったのは、今から20数年前。登山仲間の佐々木さんに誘われて訪れた松島でした。風で進むヨットに初めて乗ったときのあの感覚――エンジンも使わず、静かに滑るように進む不思議さと興奮は、今でもはっきり覚えています。

本格的にセーリングをスポーツとして始めたのは、約9年前の2017年頃です。最初は35フィート艇「るぱん」号のクルーとして、年に数回乗る程度でした。とはいえ当時は右も左も分からず、言われたことを必死にこなす日々。さらに体質的に船酔いもあり、ロマンチックなイメージは、早々に現実へと書き換えられました。

ある日のセーリングでは、穏やかな海の先に、ぽつんと黒い雲が現れました。「嫌な予感」という言葉がぴったりの光景です。佐々木スキッパーの指示でセイルをすべて下ろした直後、嵐に突入。空は暗くなり、波は高く、ヨットはほぼ操縦不能。さらに栗ほどの大きさの雹が降ってきて、当たると普通に痛いのです。クルー達はキャビンへ避難し、コクピットにはスキッパーと私だけ。まるでハリウッド映画の遭難シーンのようでしたが、当然ながら写真を撮る余裕などありませんでした。あのとき判断が少しでも遅れていたらと思うと、今でもぞっとします。この経験で、セーリングは「ロマンと隣り合わせの過酷さ」を持つスポーツだと実感しました。

レーザー級(ILCA)を始めたのは2019年頃。これも佐々木スキッパーの一言がきっかけです。当時は「一人乗りミニヨット」くらいの認識で、名前すら知りませんでした。初めて乗った瞬間は――見事に沈(ちん)。これ以上ないほど分かりやすいスタートです。それでも一人でなんとかハーバーを出て、メインシートを引いた瞬間、セイルがふわっと風を受けて膨らみ、艇がすっと走り出しました。クルーザーとはまったく違う、一人で操る自由と開放感は、今でも忘れられません。

セーリングは実に不思議で、風に向かって斜めに進める――子どもの頃からずっと興味津々でした。水と空気の境界で、重力と浮力のバランスを取りながら、風がセイルの両側を流れて揚力が生まれ、水中のセンターボードが横流れを抑える。その力の組み合わせだけで前に進むのです。さらに、レーザーの艤装をしていると、その設計の完成度の高さを実感します。シンプルで無駄がなく、機能が合理的にまとまっている。小さな艇の中に、セーリングの本質が凝縮されているように感じます。まさに「持続可能な社会のミニチュア」と言えるかもしれません。

現在は年に数回、レースにも参加しています。クルーザークラスでは松島カップポイントレースや仙台湾横断レース、親潮北上ヨットレースなど、レーザー級クラスでは松島オープンヨットレースや東北選手権など。仲間と競い合いながら、楽しんでいます。

一昨年の東北選手権では、レース中に他艇と接触し、ラダーが外れて操縦不能に。そのうえ強風でレース中断、結果として私だけ海上に取り残されることになりました。ほぼ完沈したレーザーをなんとか起こし、必死に笛を吹き続けました。幸いレスキューボートに発見され無事救助されましたが、低体温症寸前。改めて「安全第一」の大切さを痛感しました。その後レスキュー講習にも参加し、貴重な学びを得ることができました。

振り返ると、中学・高校ではバレーボール、大学では水泳、来日後は登山、そして近年はスキーやヨット、ゴルフと、常にスポーツとともに歩んできました。自然の中で体を動かすと、仕事の疲れがすっと抜けていきますし、体力だけでなく精神力も鍛えられます。仕事も趣味も、自分の心と体を磨く大切な営みだと感じています。

西安から松島へ。
そして、いつか太平洋を横断できたら――
そんな新しい夢も、風とともに膨らんでいます。