仙台にUターンしてエンジニアのキャリアを築く方法

仙台で働きたい。でも、ちゃんと開発の仕事ってあるの?
――そんな疑問を抱いたことがある方に、私の話を少しだけ。
グッドツリーは昨年、設立20周年を迎え、今年で21期目に入りました。創業当初、「東京のほうがマーケットは大きいし、ビジネスにも有利では?」と多くの方に助言をいただきました。でも私は、こう思ったんです。
「仙台でできないなら、東京でもできない」
それに、私は仙台が好きだ。家族と過ごす街、子どもを育てる街としても、ここが一番いい。

だからこそ、社名も「杜の都」=仙台に根ざす想いを込めて、グッドツリー(良い樹)と名付けました。


東京勤務から仙台へ。わがままがチャンスに変わった日

実は私も、かつて東京で働いていた時期があります。1994年に中国から来日し、文化オリエント株式会社(現メシウス株式会社)へ入社。数ヶ月後には仙台本社から東京支店へ異動し、浦和に住みながら北区・浮間舟渡駅近辺のオフィスへ満員電車で通勤していました。
終電、休日出勤、残業…そんな毎日を送るなか、ある日、経営陣との面談で思わず口にしたんです。
「できれば、仙台に戻りたいです」
するとなんと、開発チームごと仙台に移ることが決まりました。まさかの展開でした。

自然も、食も、子育ても。やっぱり仙台が好き

仙台は、自然と都市のバランスが取れた街です。四季がはっきりしていて、冬は雪が降っても寒さは厳しすぎず、夏も比較的涼しくて過ごしやすい。海も山も近く、冬はスキー、夏はマリンスポーツやキャンプなど、アウトドア好きには理想的な環境です。
さらに食文化も豊かで、牛タン、ずんだ餅、笹かまぼこをはじめ、仙台牛や海の幸、仙台味噌なども魅力の一つ。教育面でも、泉区にある明泉幼稚園(50年以上の歴史を持つ大規模幼稚園)など、子育て環境が整っています。我が家の子どもたちも全員明泉幼稚園の卒園生です。
私自身も、水泳・登山・スキー・ヨットなど多趣味ですが、これらすべてを楽しめるのが仙台。やっぱり、戻ってきて本当に良かったと思っています。

オフショアから自社開発へ。挑戦のはじまり

文化オリエントではブリッジSEとしてオフショア開発を経験し、当時数十人規模だった会社が世界中に拠点を広げ、売上100億円位規模の企業に成長していく過程に立ち会いました。
グッドツリーを創業した当初は、オフショア開発事業を地元企業に提供しようと考えていました。ですが現実は甘くありません。仙台には自社パッケージを持つ企業が少なく、受託開発や人材派遣が中心。オフショアはむしろ敬遠される傾向にありました。
そこで、自分たち自身がソフトを作ろうと方向転換し、受託や派遣からスタート。そして2011年、震災復興をきっかけに介護ソフト「ケア樹」を開発し、全国展開が始まりました。
少しずつ「ケア樹」ユーザーが増え、既存の受託と派遣事業を縮小させ、ようやく、自社開発のパッケージソフトウェアメーカーになりました。

エンジニアとして、“ひとつの業務に向き合う”という選択

もちろん、開発者として幅広い技術を学ぶのは素晴らしいことです。ですが、年齢やライフステージによっては、「一つの業務に深く関わり、ユーザーと対話しながら価値を提供する」――そんな働き方もまた、魅力的なキャリアだと思います。
「ケア樹」の開発は、まさにそのようなフィールドです。自社プロダクトの開発だからこそ、ユーザーの声に直接触れ、機能改善や新提案に即つなげられます。

「働きやすさ」も、ちゃんと考えています

最近は、子育てや親の介護との両立に悩むご家庭も増えています。また残業が少なく、有給が取りやすい、テレワークもできる――そんな働きやすい環境を求める方も多いのではないでしょうか。
私たちも、時代に合わせて柔軟な働き方を整えてきました。制度や環境の詳細については、ぜひ以下の採用サイトをご覧ください。

好きな街で、好きな仕事を。

仙台で、ちゃんとした開発の仕事ができるのか?その答えは、20年前の私が一番知っています。
「大都会じゃないとできない」とあきらめずに、「自分にちょうどいい場所」を見つけたいと願うあなたに、ぜひ、一度私たちのチームを知っていただけたら嬉しいです。