最近、IoTが流行っています。以前のユビキタスのことを思い出しました。私から見ればユビキタス社会(あるいはユビキタスコンピュティング)とIoTの本質は変わらないと思います。
ユビキタスは英語のubiquitousに由来します。ubiquitousは、ラテン語で遍在をあらわす一般的な用語ubiqueに由来し、宗教的な文脈で神の遍在をあらわすために用いられます。
ユビキタス社会とは「いつでも、どこでも、何でも、誰でも」が、コンピューターネットワークを初めとしたネットワークにつながることにより、様々なサービスが提供され人々の生活がより豊かになった社会です。「いつでも、どこでも」とはパソコンによってネットワークにつながるだけでなく、携帯情報端末をはじめとした様々な端末から、屋外、電車・自動車等、あらゆる時間・場所でネットワークにつながる事であり、「何でも、誰でも」とはパソコン同士だけでなく家電等のあらゆる物を含めて、物と物、人と物、人と人がつながることです。
IoT(Internet of Things=モノのインターネット)は、様々な「モノ(物)」がインターネットに接続され(単に繋がるだけではなく、モノがインターネットのように繋がる)、情報交換することにより相互に制御する仕組みです。モノとモノが繋がり情報交換することによる社会づくりも目指します。日本語で「物のインターネット」と表記される例もあります。
ユビキタスとIoT、両者の本質的な違いは見当たらないですね。
ユビキタスコンピューティングは、パロアルト研究所のマーク・ワイザーが1991年の論文”The Computer for the 21st Century”で、コンピューターが「環境にすっかり溶け込み消えてしまう」というユーザーインターフェイスのあり方を示す用語として使用しました。
一方、IoTは1999年にケビン・アシュトン(英語版)が初めて使ったとされ、当初はRFIDによる商品管理システムをインターネットに例えたものであったが、スマートフォンやクラウドコンピューティングが広まり、この環境全体を表現する概念として転用されました。
9年間の差がありますが、どちらも1990年代の概念でした。
実は、日本のコンピューター科学者坂村教授はTRONプロジェクトを通じて「あらゆるものにコンピュータを」と提唱し、その概念を「どこでもコンピューター」やユビキタスという言葉であらわしました。坂村教授は、ワイザーの論文よりも早い1984年にTRONプロジェクトを開始していることから、ユビキタスコンピューティングの概念はTRONが元祖であると主張しています。
そのため、IoTはユビキタスネットワークの後継と言えます。国際電気通信連合 (ITU) は2015年に、ユビキタスネットワークやIoTの起源となったオープンアーキテクチャ・TRONを提唱したとして、坂村教授に150周年賞を与えています。
TRONは、いまのIoTのように我々の日常生活に(目に見える形で)普及することは出来ませんでしたが、車や電気製品中の組み込みシステム用OSとしては、トップシェアを誇っています。当初TRONが普及出来なかった原因のひとつは技術問題であり、ネットワーク環境の速度が遅かったことやデバイスの未熟さなどでしたが、実は裏には政治関係もあります。
1989年の日米通商摩擦の際にTRON問題として米国から貿易障壁の対象項目として挙げられたのがBTRON(Business TRON の略。パーソナルコンピューター向けのOS)でした。TRONは、1989年のNTE(外国貿易障壁報告書)において、マイクロソフトのMS-DOSや、IBMのOS/2、UNIXといった米国のOSの長期的なシェアに対して多大な影響を及ぼすと指摘されています。
一つの概念を形にするのは、技術だけではなく、環境、タイミング、政治、市場の大きさ、といったいろいろな要素が絡んでいます。
*各定義はWikipediaから引用